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私たちの3つのプロジェクト

  • 同じ意志を持った人達のコミュニティをつくる
  • ワークの輪を広げる/アート&セラピー
  • できる範囲での社会貢献を考える
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Project 1 - 同じ意志を持った人達のコミュニティをつくる

例えば、私たちのひとりひとりがそれぞれの人生をがんばっているならその努力は決して無駄にはなりません。それぞれが得意とする分野を開拓しその力と有用性を使ってさらに行動を起こしてみようと思うようになります。でも! ひとりで出来ることと仲間と一緒にできることは違います。輪が広がり、届かなかった分野にも手が届くようになります。そう思う人達が集まってワークをシェアーする場を作りました。

Project 2 - ワークの幅を広げる/アート&セラピー

私たちの仲間は自分の得意とする技能や技術を持っています。その技能をこのコミュニティで紹介しています。ワークは “自分” を実践している証。人は自分の生き方を現在進行形で模索します。健全な経験が豊かになれば、自信と満足につながることができます。私たちはそれを共有する方法を仲間と一緒に考えます。

Project 3 - できる範囲のボランティア活動、世界救済基金を募る

私たちのやりたいことのひとつに社会貢献があります。どういった形でそれを行なうか? まずは、出来ることから始めていきます。2011年に起こった東日本大震災のボランティア活動、アートペインティングをつかう活動、”手をかけて作るTシャツ” などの販売による - 世界救済基金を促進する活動、をやり始めています。

東日本大震災ボランティア活動報告

2011年10月27日
写真洗浄

写真洗浄の行程

被災地で集められた写真を洗浄する

今回は2日間を掛けて、災害地区で見つけられた写真の洗浄行程を体験してきました。正直、ここまで丁寧に洗浄されて、その上、コンピュータ上に一枚一枚をデータとして残していることにびっくりしました。海水に浸かり、バクテリアに侵されだめになってしまう前に何とか、写真に写っている内容をキープしようという試みです。洗浄前、もしくは後に特殊な方法でデータを取り、写真と一緒にCDを渡すこともしているそうです。

初日、私たちは福地と言う津波の被害がとても大きかった地区から集められてきた写真、位牌、学童の物やその他を展示し、被災者に渡す場所に出向いていきました。ここにはこれまで沢山のボランティアの方々がそれらをきれいに洗ったものが並べられています。そして、それらの物は、いまでも見つかった時点で集まられ続けているそうです。特に、写真などは会場が閉まっていても、次の朝来ると、玄関の前に置いてあったりするそうです。

私たちは、初日は福地体育研修センターで、そして次の日は石巻旧市役所内での2日間かけて写真洗浄の行程をお手伝いさせていただきました。その行程は、まず、バクテリアに侵害された箇所を取り除くことです。とは言え、写真の内容が出来るだけ残るように洗浄していきます。その後、写真の裏、そして表をきつくしぼったぬれタオルできれいに拭き取ります。バクテリアに侵害されている箇所はそのほとんどが写真の周囲なので周りが白く真ん中が残ると言った具合です。

最近はデジタルカメラが普及し、写真として残すことが少ないようで、ここにある写真のほとんどが古い写真が多いようです。その中には、昭和初期などのものも多くあり、また、結婚式の写真や、私が子供だった頃のような写真も多くありました。それら一枚一枚をきれいにしていくことで少しノスタルジックな感傷に襲われそうな感じもありました。大切な思い出の写真が持ち主に届くことを祈ります。

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2011年8月20日〜25日
湊中学校でのアートイベント

湊中学校でのアートイベント

炊き出しを終了した後の湊中学校のあり方

湊中カフェ.JPG今回、私たちはアートイベントを石巻市街にある湊中学校で行うことにしました。最初は、以前にもお世話になった牡鹿半島鮎川浜の公民館で開催する予定をしていたのですが、最近ではどこも炊き出しがストップされ、土日であっても住民の方が頻繁に来られることも少なくなってきたようです。急きょ、場所を変更し、湊中学校で行うことにしました。湊中学校でも炊き出しをしなくなったのですが、ボランティア活動の一端として<カフェ&ブック>、つまり、コーヒーやお茶、お菓子などをいただくことが出来、図書館として本の貸し出しなども9月いっぱいまで継続されています。このような事情で21日の日曜日のみの開催を予定していましたが、3日間続けてアートイベントを開いておくことにしました。


誰もがアーティスト

きよこさん.JPGプライマルペインティングを開催するにあたって、これまでの2階は被災地だから1日のイベントで行うという少し無謀な方法でしたが、やはり3日間、開いていると絵を続けてかける利点が有効的に働きました。大きな紙の上で色をのせていくだけでなく、そこからさらにイメージをのせていく作業が出来るからです。震災後、湊中学校に身を寄せているきよこさんは「絵なんか描いたことないわ!」とおっしゃっていましたが、みるみるうちに色をのせていき、翌日には素晴らしい作品を仕上げていきました。

手記:加藤

2011年8月19日
小渕浜のがれき

小渕浜のがれき

小渕浜がれき.JPG私たちの活動でもあるアートイベントの準備を終えた後、一緒に飯を分け合う<ボランティアベース絆>チームのジョージの投げ掛けで小さな漁港で行われる灯籠流しのお手伝いをしに石巻市街から牡鹿半島の小渕浜へ向かった。国道から海側へ入る細い小道を車で入っていくと最初に目についたのは大きく盛り上げられたがれきの山、こんな小さな漁村でもこれだけのがれきでいっぱいになっていることにショックを受けた。これらはもちろん陸にもあっただろうし、海にも浮かんでいたのだろう。



浜3.JPG私は、牡鹿半島に行くたびに車を止めて写真を撮る場所がある。今回、この場所にも、たぶん海からだろうが、引き上げたらしいきドロ山があった。よくよく見てみるとそれは、このあたりの名産物にもなっているホタテの養殖用の貝が鉄くずやドロなどと一緒になって山積みになている。これをみると涙が出てきた。漁師さんや港で仕事をする人々にとって、このことがどういうことなのか、心に突き刺さる。東北地方から遠い地区に住んでいる日本の住民はきっとこの被害の大きさに気づいていないのだろう。「放射能がこわい」だけが頭の中で鳴り響いている人達にこの痛みが分かるだろうか?

手記:加

2011年7月27日〜8月2 日
大川小学校と写真洗浄

大川小学校と写真洗浄

だそ1.jpg今日は写真洗浄のグループに参加した。作業場の少し先にあった「大川小学校」を訪ねたが、これまで行ったどこよりも悲惨な姿を目の前にして、涙が流れた。その建造物はあまりにユニークな、美しいデザインであり、それがものの見事にぐしゃぐしゃにされていたことが、余計に辛かった。正面にある石碑に手を合わせて、それから作業場に行った。

ヘドロの匂いが残っているアルバムの写真を一枚一枚剥がして行く作業はけっして楽しいと言えるものではなかったし、きっと津波で亡くなった方たちのものがほとんどなのだろうと思うと、正直何のための作業か、、、と思わざるを得なかった。表と裏がくっついてしまっている写真がほとんどなので、表の側に集中していると、裏を傷つけてしまう。表の写真はインクが溶けてしまっているので、裏側の、少しでも画像が残っているほうを優先しようとして、係の人に聞いたら、「そういう判断はしないでください。ここには捨てて良い写真は一枚もありません!」と言われた。

石巻写真洗浄.jpg複雑な気持ちになったが、そのまま無言で作業を続けて行くうち、まったく彼女の言う通りだと思った。これらの写真がどれほどご本人に取って大切なものか、そうでないかなど知るすべはない。でけるところまでをやるだけだろう。洗浄された写真は、簡易アルバアムにはめられ、仕分けされて、机に並べられる。気の遠くなるような作業が続く。

この地域の先には、まだ浸水したままの地域があると言う。6月半ばにやっと橋が架かり、ボランティアが入りはじめているが、浸水した家の中にはまだまだ遺留品があるはずだ。私たちがお世話になっているボランティアベースは8月いっぱいで引っ越す予定だと言う。今日も、明日も、リピーターを含む新しいボランティアがやってくる。ベースの夕ご飯の時間が近づいてきた。キッチンから楽しい笑い声が聞こえている。私たちは、私たち自身のために、ここにいるのだと思う。

手記:斉藤


2011年7月14日〜17日
被災地でアートイベント

被災地でアートイベント

これまでにボディケアボランティアとして被災地へ出向いていましたが、今回は、それにつけくわえてプライマルペインティングという絵の具を使って色を楽しむ事をやってきました。場所は、宮城県石巻市内の湊小学校と、牡鹿半島の鮎川浜にある牡鹿公民館の2カ所です。最初に湊小学校で行った時は、初めての開催だったので、どのように楽しんでもらうか試行錯誤でした。小学校に仮住まいされている方や炊き出しで食事を受け取りに来られ方は見ているだけで参加されるには至らなかったけど、その中で数人の大人と子供さんに絵を描くことを楽しんでもらうことができました。2回目の鮎川浜では、一回目の体験をもとに、どのように絵を楽しむか、紹介する方法を変えてみたところ、大人も子供も自分の紙の前で、ひとりひとりがアーティストのように色を楽しんでいただきました。この方法だと、これからも続けていけると思いました。紙はペイント用の、インドから取り寄せたコットン100%の綿紙です。

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今回のボランティア同行者の感想

白石さん:
白石.JPG何をするのでも、自分を構えて、整えてからするのではなく、現場(ボランティア、現地の人)の人と一緒になってなにか進めていくというようなことを長期的に続けていければ、すこしは完結(ボランティアとして)した感じになるのではないかと思います。僕自身の被災地への想いにしても、今回の震災がなければ、微細にも湧きでこなかったにわか仕込みの想いであって、自分自身ですごく偽善ぽく感じてしう。そのくらい現地の状況はひどく、でもチャント復興の兆しがあった。次にいくとしたら、現地の人ともっと接したい。ボランティアのイメージが変わった。ただの土木作業のやらされ仕事ではなく、自分から企画、立案、行動、反省、、と企業の、PDCA(PLAN、DO、CHECK、ACTION)と同様のプロセスを遂行している。そしてそれが出来る人材を必要としている。また、絆のところだけかもしれないが、皆ユニークかつユーモアがある人材ばかりだ。日本財団の黒澤さんもいっていたが、このような現場だからこそ、ユーモアが大切だと、、。都会でも、被災地でも、人の生きる営みは同じなんだという思いに至る。また、機会があれば。

Henna:
henna2.JPG加藤さんの情熱にタッチしました。何ヶ月後になるかわからないけれどアートをとおして一度は助っ人として訪れたいとおもっていましたが、彼女の話をきいて「ペインティングのシェアのタイミングはいまだ」と感じ、おもいがけなく早い参加となりました。アートボランティアの予想がつかなかったけれど予想以上のものでした。ボランティアをやっている仲間たちの場に身をおいて、自分が場違いなような、宇宙人になった気分がありました。ボランティアに対する私の思い込みの反映かもしれませんが自分のなかで分離感をつくっていたようにおもいます。こどもたちと粘土をこねたり、年配の方と雑巾縫いや刺し子などをして手を動かしながら会話をしたり、話しをききたい。いま必要とされていることをちょうどよくというのが大切だとおもうので自分たちのやることが、おしつけや自己満足になることのないように状況をみながら臨機応変に動いていくことの必要性を感じました。ただ、自分でいてできることをやることが、結集すると大きな力になるのを実感しました。創造性は自分を解放し、癒し、その場のエネルギーを動かす、そのことをいっしょに描いたひとたちがみせてくれたようにおもいます。午後からはそれぞれに自分の表現で自由に絵を描きましたが、場がひとつになり、みんながつながっているのを感じました。参加した方からもらった私たち宛ての手紙が感動でした。またそこの公民館が遺体安置所だったことをきき、いのちをひらいて絵を描くことが供養になるのかなあ、とおもいました。個人的にはボランティアという自分が持っている思い込みをぶちこわすすばらしい機会と体験になり感謝しています。

2011年6月28日〜7月1日
ボランティア参加の体験

ボランティア参加の体験

今回の震災を自分のものとして感じられない自分がいて、それがどこから来るのか、もっとリアルに感じたいために参加しました。またJICA(青年海外協力隊)でブラジルに向かうまでのわずかな時間を有意義に使いたかったし、“ボランティア”とは何かということを感じたかったこともあります。現地に行ってみて、自分の目で見て、体験して本当によかったです。想像していなかった収穫がたくさんあったし、自分なりに毎日の役割に貢献できたと思います。次に行く機会があるとしたら、私の場合は1年9ヶ月後ですが、自分を誰とも比べずに参加すること、関わることに意識的でいたいと思うし、アートや美しいものに関わること、つまり生活基盤ができた次の段階の活動ができたら、と思います。

今回のボランティアに参加して、想像を超え、色々と得るものがありました。一人ひとりの力をあわせていくと、こんなにも大きな力が生まれ、一つの目的へと進んでいくという圧倒的な事実に驚きました。そして全体の中でも個々の人が生き生きと輝き活動し、意見を言い、表現している姿に心打たれたし勇気をもらいました。自分が自分らしくいることや、表現していくこと、その時目の前に来たことに集中して全力を注ぐことなど、常に自分と意識的に向き合うことが要求されましたが、それはきっと、ボランティアという活動でも日常の中でも同じことだと思います。ただ、こういう状況のほうが、より強烈にそのことを感じることができたと思います。一緒に行く仲間がいるということも心強いことでした。それにボランティアベースの絆にも関わることができて、全くひとりではないというところに安心感もありました。自分の課題や見ていくべきところがはっきりと見て取れて、とても良い体験でした。どうもありがとうございました。

手記:Beijos, Mita

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shakuti1.JPG今回の参加動機は、整体やタイマッサージで、人に触れられる安心感を得たり身体を緩めて楽になったりすることのお手伝いができたらいいなと思ったからです。自分自身の技術的な不足は感じるけれど、与えられた機会の中で私なりにできることをしたという感触があります。

もし、この次に行く機会があったら、今回と同じように整体・タイマッサージをしたいです。自分がやりたかったことをやらせてもらえて、満足です。オーガナイズしてくれて、ありがとうございました!

手記:Shakti(たにぐちなおみ)

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2度目の石巻ボランティア、良い経験を積む事ができました。行く前はなんだか不安もあり、止めておけばよかったかもなどと思っていましたが、後になるほど「行ってよかった」と思えてきました。本気でボランティアをしている人たちに触れ、本気で生きている人たちに接する事ができたことは、私にとっての大きな財産だと言っても良いでしょう。

yuka.JPG足裏マッサージ、まったく素人の私だからこそかもしれませんが、楽しかったです。被災者の方たちと何かを話した訳でもないし、結果を聞けた訳でもないので、自己満足かもしれませんが、幸せな時間をもらうことが出来ました。そして、自分の成長も大切ですが、少しづつ被災地が復興している姿はうれしかったです。勝手に第2の故郷化してます。

仮設住宅の問題や高齢者の問題はココロが痛みました。でも、残念ながら、見守ることしか出来ないんだと思いました。でも、いつでも、すぐに支えられるように西日本、そして小さい力ですが私もちからを十分つけて、日本一丸となってこの事態を乗りきれたらな。一緒にがんばっぺ。

手記:ゆか

震災から3ヶ月経っているとは言え、まだまだ残るがれきの山や崩れた家を見るのは衝撃的だった。行った先の避難所で、東北の方々へのお見舞いやお祈りを写している番組がTVで流されていた。その画面を見ている被災者数人の表情は、何も感情もなく、クールなものだった。それと、よく見かける「がんばれ!東北」と言う言葉も、私には少なからずプレッシャーを感じさせ、実際、被害にあっていたらどんな気分がするだろう? と考えてしまった。避難所の小学校にたくさん貼ってあった全国からの手紙に「応援している」、「何も出来ないけどがんばって!」と言う言葉が所狭しと書かれていたが、私の心には何か奇妙な感じが残った。それは、ここでは、行動すること、創造的に動くことが求められているのを目の当たりに下からかもしれない。これからも被災地へ出向けない間に何らかの形でムーブメンツを継続していきたいと思った。

kantu.JPG今回、私がボディケアボランティアで感じたことは、東北の方々の身体はとても素朴であった。もちろん、堅さや緊張はあったが、少し触れていると抵抗なくほぐれてくる、多大なショックを受けているはずなのに、すごいなと感じた。避難所生活で階段の上り下りで苦痛を感じている人、逆にいい運動になっていると言う人もいた。施術をさせてもらったそれぞれの個人的な内容は、私への大きなメッセージとなった。

手記:かんつ

行くことを決めたと同時に、向こうでセッションをすることへの恐怖がわけもなく頭のなかでひろがった。テレビで見たような大変なところで、1県分の緊張を癒さなきゃ・・・みたいな。と同時に、縁のある大好きなかんつ、だそ、しゃくてぃ、みーた−、と一緒にいくことになり、全く未知のことにむかっていくので興奮もしたし、うれしかった。それと同時に、セッションは焼け石に水のような気もして、近くの人同士でマッサージしあうほうがいいのでは? と、平和な風景すらも思い浮かべた。

清里から新宿に着いて、いつもの行きかう人々と立ち並ぶ店群に突入しつつ、何故なのか このような風景はもうあまり長くは続かないのだな、と確信に近い感じを感じた。そして、今回、始めて見る東北の美しい風景にも心を打たれた。行き帰り、心なしか、空気も安心して吸えず、海にも楽しく入れず、野菜も安心して食べられず、そんな地球に自分達がしまったのだな、とすごく実感した。

「絆」に滞在してボランティアミーティングなどに出ているうちに感じたことは、その「人間的魅力」満載エネジーがおいしかった 。このようにそれぞれが、それぞれのバックグラウンドと個性をそのままで有機的にグッドネスにむかって機能している生き方はすばらしい! 

raja.JPGその中で自分も特殊技能を活かし、すこしでも被災者の方の不快な症状をとりのぞくことができたり、疲れたスタッフの腰をケアできたりして、結果もしっかりでていたことがうれしく、いいことであった。自分ではあまり特殊技能だと思っていなかったが、特殊技能だと思っていい気がしてきたかんつと4ハンドデビューもはたしました。(こんなことはなかなかおこるものではありません)

いかに!マインドが散り散りになっていてもマッサージテーブルをたてると、自分に戻ってきます。あと、朝食づくりのとき乾物のストックなどにチェックをいれながら、ほかのすべてが消えていく感じになって、「う」と思った。チームで行動できたことはたのしくって幸運だった。

そんな中、本田圭介選手を見逃したことは一生の不覚といっていい出来事であった。ここ、アンダーラインなお有人さんについてはコメントはひかえさせていただきます。カマラや母友らの募金であまりお金がかからなくって助かったことを通じて、また、今帰ってきたら、周りの人が話を聞きたがるだろな。

手記:raja

2011年6月8日
ボディケアボランティア

ボディケアボランティア

漁師さんクラニオ.JPGマッサージとクラニオバイオ、6月8日、私たちのチームは東浜小学校の災害対策本部と、そこからさらに車で10分ほど行った小さな入り江にある漁師さん達の集会所で2手に分かれて施術をさせていただきました。私は被災者の宿泊施設にもなっている入り江の集会所に行きました。数人させていただいた中に、手術を終え退院されて2日後に津波に襲われた漁師さんがいました。尿を溜めるための袋がまだ体の中にある言うことでした。そんな体でも、漁師組合のなかで復興に向けての仕事や役目を果たしているそうです。彼は、施術の間に復興対策や役所の問題、漁師さん達の抱える問題についてなど、私にいろんな話しをしてくださいました。特に背中心をゆるめた後、上向きに体を変えてもらい、私のテックニックであるクラニオバイオをさせていただくと、すぐさま、深い休息に入られ、体のあちらこちらにジェックが起こり、全体の緊張を解放していきました。それがしばらくして収まると、彼の意識が戻り、目を開けられ、「ああ、わし、寝とったんかね?」とにっこりされました。施術の後、上がらなかった左腕をグルグリ回し、腕が上がることにびっくりされ、とても喜んでいただきました。6月9日、湊中学校の体育館での施術、やはり、長期に渡る緊張と疲労、そして持病を抱える人が多い。出来る限り、ひとりひとり丁寧に施術を行っていきたいと、ますます思うばかりでした。

手記:加藤


まさかの贈り物

私にはガレキの撤去はできない、炊き出しもけっして得意ではない、カーナビなしにはどこへ行くのも不安だし、地震も恐い――でも、お年寄りのガチガチになったからだに触れていると、何かの役には立っているのだろうと思う。今回の石巻訪問は、以前にも増して「濃い」体験だった。何度行っても、その都度新しい出会いがあり、新しい発見がある。人びとの話に耳を傾け、たくさん考えさせられる。

行政が悪いとか、誰が間違っているということではなく、ここにあるのはまったく前例のない状況。誰にも予測不可能だったさまざまな課題が次から次に私たちに挑戦を運んでくる。それを苦悩として受け取るよりも、創造性を最大限に使っていくことだろう。今回のヒットは自衛隊が用意してくれた「お風呂」――山形から温泉のお湯を運んだのだという。大きな簡易プールにお湯が注がれている。仕事を終えて「ボランティア団体のミーティング」に顔を出し、その足で「石巻温泉」に向かう。一日の疲れがいやされる。まさかの贈り物だった。

手記:斉藤

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2011年6月7日
牡鹿半島の復興に向けて

牡鹿半島の復興に向けて

漁業

牡鹿船.JPG私たちのボランティア活動の拠点にもなりそうな牡鹿半島、太平洋に突き出したこの美しい半島で起きたことは、人間の力など及びもよらない自然の圧倒力を持った地震と津波。牡鹿半島には幾つもの小さな漁村と漁港があり、ここで暮らしている人達はとても美しい心を持った人達です。初めてボランティアに来た時の、牡鹿半島の漁具回収および復興に関わっているNPOヒューマンシールドの助さんに連れられて見た悲惨な光景から、今回、私が見て、そして感じたことは、ここに住む住人達の心から願う復興事業と彼らの前向きなパワーでした。漁村や漁港はまだまだ破壊による山のようなゴミやヘドロがあります。それでも、前回に見られなかった光景として見れたのが、勇ましさを誇っているかのように漁船が入り江に集まっていたことでした。その勇壮さに感動し、思わず運転している手を止めて写真をとりました。私は漁師さん達のこのような心意気を多くの人にシェアーしたいと思っています。そして、まだまだボランティアが必要である、やることがいっぱいあると言うことを伝えていきたいと思います。


東浜災害対策本部/本部長の豊島さん

豊島さん.JPG前回、災害のお見舞いに伺った時に置いていった名刺をたよりに、ボディケアボランティアの依頼を本部長さん直々に電話でくださった豊島さんです。電話を直接くださるとは思わず、私は感動してしまいました。彼は、5つの漁港をまとめる対策本部長として誠実に働いておられます。「わしはただの漁師だから、まさか、こんな責任ある仕事をすることになろうとは思わなかった」とおっしゃっていましたが、担当する漁村の人達に対して誰ひとり不公平が起こらないようにとても気を使っているのが痛いほど感じられます。被害当日から3ヶ月目、ようやく笑えるようになってきたとおっしゃっていました。しかし、まだまだ、いろんな角度から、そして、いろんな意味での苦労を背負っていかなければなりません。私たちはボディケアボランティですので、もちろん、本部長さんにも施術をさせていただきました。長たる者にゆとりがなければ、その周囲も人達も困惑してしまいます。ムッツリとしていると、ちょっと怖めのお父さんに見られがちですが、豊島さんは暖かくやさしい心を持った方だと感じました。私たちはこれからも石巻、牡鹿半島の復興のお手伝いに行きます。そして、被災地の方々と良い出会いを持ち、日本人として、一緒にこの国のことを感じ、そして考えていこうと思いました。とにかく、ここの人達は本当に素朴で、そしてたくましい力強さを持っています。ボランティアに来た私たちが逆に元気をいただいています。豊島さん、そして半島の皆さん、本当にありがとうございます。

手記:加藤



2011年5月23日〜26日
石巻で見たこと、感じたこと

石巻で見たこと、感じたこと

daso車.jpeg「10日後の5月23日、再び石巻を訪ねる。崩壊した家はまだまだそのままだが、歩道に積んであったがれきがきれいに撤去されており、自衛隊や重機を取り扱う人びとの多大な貢献に感謝した。ここは私の土地ではないが、石巻の人びとと私たちは一つなのだ。



daso落語.jpeg「3日間の間は湊中学校での炊き出しに始まり、マッサージをしたり、手相を見たりと大忙しだった。2日目の午後に小渕浜を訪ねた。ビルの1階は崩壊していたが、二階がまだ使えるというので、ボランティアの人たちが一弾となってカーペット敷の部屋を作ったと言う。そこで落語会が催される。そが済んだらマッサージに来てほしいという要望を受けた私たちは、地元の方達と落語を楽しみ、それから個人のお宅にお邪魔した。その大きなお家では三世代の家族メンバーの他、近所の避難者の家族が肩を寄せ合って暮らしている。若い奥さんはみんなに気兼ねし、緊張を抱えていた。何かみんなでできるからだのエクササイズはないものだろうか、少しでもくつげる環境づくりを提供したい、さまざまな思いが心をよぎった。私たちは今こそ求められている」

daso3.jpeg「マーケットの駐車場に書かれたHELPの文字は震災の日の名残だ。(マスクをした私たちの後方の路面にブルーの文字が見える)妊娠中だった若い奥さんが、祈りとともにこの文字を書いたのだと言う。幸い彼女は救われて子どもも無事出産。親子ともに元気だということだった。小渕浜は前回訪ねた竹浜よりもずっと奥地で、まだまだがれきだらけだが、この駐車場前のスーパーマーケットは6月からオープンすると言う。復興は人びとの祈りとともに一歩ずつ進んでいっている。そして、これら一つ一つは、東北の一部で起こっていることではなく、私たち自身の課題なのだと切に思う」
がれきがたった10日間できれいに片付いていたこと、数件だが飲食店がオープンしていたこと。

ボランティアの数が3分の1に減っていたこと。牡鹿半島にはまだまだがれきの山が残っていたこと。そして、何よりも、私自身の大きな気づきは、被災者の方たちの生活環境が、どれほど窮屈で、不安定か、ということだった。「一日一度は余震を感じる。そのたびにからだがピクッとするんです。」「おばあさんは外の様子がわからないから、一つ一つのことに何でそんなに時間がかかるんだって怒られる。仕方ないんだけれど、気持ちが落ち込みます。」「ええ、おばあさんと、お父さんたちと、私んとこと、兄さんの家族、それとお家流されちゃった近所の人たちで同居しているから、いつも正座しているんです。ひざ痛くなっちゃいますよねえ。」

そして、同時に、明るい光も見えた。

「また来てくださったんですか? ありがたいことです。」そう言って手を取ってくれた奥様は、娘さんを連れてきたいというので、翌日の約束をした。このまえ手相を見たときに、手を振り払って立ち去った漁師さんが、炊き出しを手伝っていた私を見つけてにっこりした。ボランティアの中のいつも張り切っているお兄さんが、マッサージを申し出てくれた。また別の数人は手相やタロットを見たがった。彼らの中にいると、出来のいい子どもを持った母親の気分になる。彼らの一人一人をとても誇りに思う。そして、私たちは求められている、ということを誇りに思う。

手記:斉藤


2011年5月12日
牡鹿半島

牡鹿半島

私たちの訪問は本当に短い2泊3日でした、初日に専修大学の石巻災害復興支援協議会に出席したことから始まり、2日目は湊中学で午後4時頃まで実際のボディケアボランティア活動、そして渡波小学校本部へ状況確認訪問、夕方には再び石巻災害復興支援協議会に出席。翌日、阪神大震災でも活躍されたスケさんに同行し、牡鹿半島の漁村と東浜地域災害対策本部を訪れました。その帰りに石巻市内の明神社に立寄り、神社でボディケアボランティアをさせていただきました。 ここにはボランティアによる青空カフェが作られており、湊中学校で作られる炊き出しの一部を持ち込まれ、周囲の住人に食事が配られています。

牡鹿1.JPG最終日の朝、スケさんの軽トラの後を追いながら牡鹿半島へ、災害の爪痕はあちらこちらにあり、途中、スケさんが車を止めてこれを見て何を思うか?と私たちに疑問を投げかけました。そこはとても小さな入り江で、もし、これらのゴミがなければ天女が降り立つほど美しい浜であったことは間違いないです。これらの入り江にはカヌー隊が入ってゴミを片付けるそうです。とはいえ、このような場所は沢山あり、ボランティア人数はまったく足らないです。スケさんはどんな仕事がありますか?と聞かないでください、見れば何が必要か自分で判断して実行してくださいと私たちに言いました。ここでは、自立的ボランティアがもっとも望まれているのです。

牡鹿3.JPGそこからさらに私たちが向かった小さな入り江の漁港には数軒の家が無惨な姿で数人のボランティアがその後片付けを行っていました。私たちもその手伝いを少しだけさせていただきました。この小さな漁港に家を構えていた夫婦は泥の中に埋まってしまった私物をひとつづつ掘り返しながら、どんな思いでいたことでしょうか。私はどれもこれも使い物にならないものを一緒になって泥から引き出していました。ここに来る前、宿泊しているセンターのモーニングミーティングでスケさんが、魚を捕る網が泥に埋まって困っている漁師さん達のことを話し、また、多くの人がこの先の希望を失い自殺していく様子を涙ながらに語ったことが蘇ってきました。

牡鹿4.JPG泥から私物を救済している途中、私は釘を踏んでしまい、洗浄するために車に戻りました。ボランティアミーティングでも何度も話に出てきましたが、ボランティア活動の最中に怪我をし、手当をうまくせずにいた人が破傷風をおこしたと数回聞きました。釘を踏んづけてしまった瞬間、ああ、やってしまった!っと思いました。このようなボランティアに参加される方は、釘を通さない長靴があるらしく、是非ともそのような支度を持参する必要があるでしょう。

この後、この辺り一帯を仕切っている東浜小学校に本部を構える東浜地域災害対策本部を訪れ、そこの本部長さんに話しを伺いました。ボディケアボランティアについてを伺いましたところ、勝手にあちらこちらに無断でいくのではなく、一度、本部を通すように指示されました。と言うもの、救援物資などに関しても、誰々さんはもらっているが、私はもらっていない、と言う不公平が起こらないようにするためだそうです。ボディケアボランティアに関しては、これらる人数に合わせて行き先を指示してくれるそうなので、前もって連絡することが必要だそうです。

手記:加藤



2011年5月11日
湊中学校でボディケアボランティア

湊中学校でボディケアボランティア活動

今回の私たちのミッションは、どのような形で私たちのようなリクリエーションチーム人材を送り込むことが出来るか? と言うことを前提にマッサージ&クラニオ、タロットを現地でやってきました。現地入りした翌日に私たちが出向いていったのは湊中学校、被災された方々が私たちの宿泊施設より無惨な場所にいることが判明、衝撃的でした。私たちの宿舎での雑魚寝はボランティア仲間と一緒に寝泊まりで心が温かいですが、寒々とした教室で衛生的にも十分でないように感じられました。湊中学校では被災者が教室に寝泊まりし、体育館で炊き出しやその他イベントが行われています。この体育館自体もほぼ天井につくぐらいの海水が侵入し、ガラスを突き破って車が入っていたらしく、修繕されてはいるものの風が入ってくる隙間が多く、決して良い環境とは言えません。そして、この学校の周り全体の建物が総崩れ、撤去作業が行われています。被災者の方々周辺の写真をとるのを控えたのでここでの写真はありません。この日、私は計6名の方に施術をさせていただきました。炊き出しチームと一緒のオープンスペースですが、マッサージテーブル持参でおこなった施術には皆さんとても興味を持っていただいたようです。

湊中m2.JPGひとりひとりの体に接して本当に心が辛かったです。最初の方は、災害後からこの中学校に2ヶ月も寝泊まりをされているようで、もう、精神的にいっぱいいっぱいと言う感じでした。おそらくですが、役所の方から給付された睡眠促進剤などを取られているのではないか?っとも思われるほど、ぼーっとした感覚のなかにいるようです。また、最後にさせていただいた方は、今回の震災で津波に飲み込まれ、流されてくるいろんなものに体を打つけられながら、死ぬ思いで必死に電信柱につかまっていたそうです。私からのどんな聞き込みしませんでしたが、彼女自身が、施術中も、施術後もその体験を話し続けてくれました。交感神経系の興奮があり、話すことで、自分のプロセスを何度も何度も復習し、自律神経の安定を行っているようにも見受けられました。彼女自身も当初この中学校に非難されていたようですが、ここからさらに海側にある自宅の1階、2階は全滅ですが3階がまともに残されたので、現在、夫と娘さんと3人でその自宅に身を寄せているようです。施術後、「癒されました」と何度も何度も私にお礼を言ってくれました。今思えば、もっと時間をとって一緒に話をすればよかったと後悔します。彼女は今後も、体育館でマッサージなどが行われていか、見に来るようにすると言っていました。

手記:加藤


2011年5月10日
宮城県石巻市ボランティア活動

宮城県石巻市ボランティア活動が始まる

5月10日、フラワーピープルから先発調査隊として2名が宮城県石巻市に夕方到着、市内の専修大学で毎日午後7時に行われているボランティア調整会でもある石巻災害復興支援協議会に出席。

ここでは、各種ボランティアを10の項目に振り分け、それぞれの特殊技能者がその役割を有効かつスムーズに行えるように分別している。とても良いシステムが出来上がっている。とは言え、ボランティアの数はまったくもって足りないというのが今回の調査で感じたことだ。

10の項目には、復興マインド、メディカル、移送、リラクゼーション、炊き出し、マッドバスターズ、漁具回収、心のケア、キッズ、生活支援などがある。これらの10の項目の中で、それぞれの団体、または、個人ボランティアがその役割を果たしている。例え、個人ボランティアであっても会議で発言でき、とてもオープンな環境の中で互いの役割を膨らませていくことが出来ると言った感じで進められている。

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ボランティアのネスト:南境生活センター

絆ベース.JPG今回、私たちが宿泊した施設は<復興チーム・絆>がネストとして使っている南境生活センター。ここでには阪神大震災で活躍したボランティアプロやヤングボランティア達が集まっている。寝袋持参、救援物資の合間で雑魚寝、お風呂もろくに入れない環境の中であっても、彼らはそんなこともこれっぽっちも気にせず、どちらかと言うと、楽しい仲間と一緒に共同生活をし、朝、それぞれが、それぞれの向かう先に出向き、そして夕方に戻ってくる。

この施設には無線LANが引かれており、食後など、各自がマイコンピューターに向かって何やらやっていた。ネストでもあり、プライベートオフィースにもなっている様子だ。テクノロジー的にもまったく対応している。朝食後、ミーティングを行い、互いの安全を確認しながら元気に出て行く。


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